北九州発の終活情報誌
「もしもの広場」
お葬式を行わない「お葬式」
昨今、「直葬」と言われる、火葬だけを行うお葬式が増えています。
「葬儀事前相談講習会」というセミナーで、東京から来られた講師の方のお話しの中で この直葬についてお話がありました。お話の中で、「こんなことは葬儀社で働いている人以外はなかなかわからないだろうなあ」と思う内容がありましたので聞いて もらいたいと思います。
亡くなった直後の人はまるで寝ているようです。表情も穏やかで体温もあり、触れれば柔らかい体がそこに存在します。
頭で家族の死を理解していても、その体が 目に入るうちは、心での納得はしずらいものです。時間と共に納棺され、時折覗くと故人の表情が無機質に変わり始め、体も硬く冷たくなっていきます。
葬式が進み出棺前にお棺の蓋が開けられると、この身体をこれから火葬するという事実を遺族は突き付けられます。この時は悲しみが表出されやすい場面です。
葬儀社であるなら多くの別れを見てきているはずです。
取り乱した遺族も火葬後の拾骨が終わると不思議と落ち着きを見せます。肩の力が抜けたような空虚感でしょう。
その時、故人の死を真正面から受け止めるのではないでしょうか。まさしく「諦め」の第一歩のような気がします。この過程こそが遺族や親しい人にとって、故人の死を受け止める 大事な時間だと思います。
故人の姿の変化を見ることなく火葬直前に集まって火葬だけをすればそれで良しとする風潮は、遺族が気が付かない中で、悲観を大きくしている だけだと思います。直葬を望まれても、故人と触れ合う時間を作る努力をし、その意味を伝えていくのが葬儀社の役割ではないかというお話でした。
世の中、時間を追われお金の事ばかりが気になる風潮ですが、故人の死という事柄さえもこのような風潮の中で物事を考えてしまうことに少し反発してみるのもよいこと なのかなとおもいます。
葬儀には、お金よりも時間をかけろとこの講師の方は仰っていました。見えなかったものが見えてくるかもしれません。