北九州発の終活情報誌
「もしもの広場」
晴れ舞台
「大往生」の定義は様々です。たとえ短命であったとしても、一生懸命に悔いを残さず全力で人生を走り抜けたのなら、 「大往生」だと思う人もいるでしょう。
先日、百歳を迎えようとするおばあちゃんのお葬式のお手伝いをさせていただきました。
その葬儀は「故人をただただ涙で送る」葬儀から「大往生した故人を皆で讃える」葬儀へと変わっていきました。 それは、喪主の何気ない一つの疑問からでした。
葬儀の打ち合わせをしているとき、喪主が「ねえ、霊柩車を見送るときに、みんなで拍手したらダメ?」と言われたのです。
そして、「おばあちゃんは頑張ったんよ。こんな歳まで生きて、誰にも迷惑かけんで。死んだばあちゃんに『頑張ったね。ありがとう』の拍手で見送ってあげたいんやけど、そんなことしたら失礼になるんかね?」と尋ねられました。 「悲しいだけの葬儀」にはしたくない、そんな気持ちが伝わってきました。
私は「拍手で見送ることをためらうことはありません。当日参列していただいたみなさんにもその趣旨をお話して、たくさんの大きな拍手で見送ることができれば、最高の葬儀になるでしょうね」と申し上げました。
宗教者にもそのことを伝えたところ、「大いに結構。是非そうしてやって欲しい」との返事をいただきました。
葬儀当日、開式前に「この葬儀は故人を弔うものであると同時に、賞賛するための葬儀である」ことを説明し、「最後は盛大な拍手で見送って欲しい」という喪主の意向を参列者に伝えました。
うなづき共感する人もいなければ、怪訝な顔で眉間に皺を寄せる人もいましたが、出棺の際は参列した方々全員が微笑みを浮かべ、大きな拍手で故人を見送りました。霊柩車に同乗した喪主の涙は、悲しみだけではなかったと思います。 また、見送った方々も清々しい気持ちで葬儀を終えたのではないかと思います。
「こんな葬儀もいいね。」「うちのじいちゃんも拍手で送っちゃろうかね。」 笑顔の葬儀、お手伝いさせていただいた数々の葬儀の中でも、印象に残るものとなりました。
葬儀とは私たち葬祭業者が作るものではありません。宗教者の同意で決まるものでもありません。
みなさんが故人を想い、人生最後で最高の舞台を作ってあげることで「大往生」と呼べるのではないでしょうか?