北九州発の終活情報誌
「もしもの広場」
家族葬って何だ?
北九州葬祭業協同組合では、年1〜2回ほどサービスの向上を目指して研修会を開催しております。 今年も、5月25日に研修会が開催されましたが、その中で家族葬のことが取り上げられました。 そこで大先輩の方が提起されたことです。
家族が、全員で生活するのが当たり前であった時代は、親が歳をとったら子供がみんなで介護し、その親が亡くなった時はみんなで送り出したものだ。
お膳を作るのも、遺体に死化粧を施すのも、僧侶を招く準備をするのも家族の手で行った。
その意味では、昔の葬儀はみんな「家族葬」だった。ところが、現代は家族が別々の場所に生活し、親の介護も病院や施設に任せている。 亡くなる時も、家族が看取らないことがある。葬儀の準備は、全部葬儀社がしている。
そんな時代だからこそ、お別れに家族の手が入る「家族葬」が必要なのではないか。家族の手で送ってあげられる葬儀が、家族葬なのだと思う。
家族葬という言葉が、葬儀の規模や参列者の人数、費用の面にばかり向けられている中、とても示唆に富んだ提言でした。
実は、このことを強く感じられることがありました。葬儀社では、身寄りのない方の「お別れ」をお手伝いする機会があります。 「葬儀」ではなく、「お別れ」です。というのも「孤独死をされた身寄りのない方がいる。葬儀社で送り出してくれ」という役所からの依頼を受け、ご自宅にお迎えに行き、斎場で納棺。
その翌日には、火葬場へお連れして、最後に遺骨を役所にお預けするだけのとても葬儀とは呼べないものだからです。
先日も同様の依頼がありました。いつものように、ご遺体を斎場に安置したのが昼過ぎ。あとは、翌日になるのを待って火葬場へ向かうだけの手続きだったはずが、このときは違っていました。
夕方になって、二人の男性が斎場にいらっしゃいました。お二人は、いわゆるホームレスの人たちを支援し、住居と仕事を斡旋しているNPO(非営利団体)の方でした。
ご遺体をご覧になり、故人を確認した後、お二人は「○○さんのために、仲間でささやかなお別れをしてあげたい。」と提案されました。拒否する理由は何もありません。
翌日、「○○さんの仲間の人たち」が斎場に20人近く集まってこられました。その多くは、元ホームレスであったようです。NPOの関係者もいらっしゃいました。
故人の思い出話しを語り合い、時に笑顔や笑い声も混じる温かいお別れでした。確かに、○○さんには見送る家族は誰もいませんでした。
しかし、家族に代わるNPOの方、ホームレスの仲間の温かなまなざしの中で旅立っていかれました。
葬儀社にはできない「葬儀」がそこにはありました。これが大先輩の言われた「家族葬」の本質なのかもしれません。
お別れに家族の手が入る、家族の手で送ってあげる葬儀が家族葬なのだ・・・