北九州発の終活情報誌
「もしもの広場」
発刊にあたりまして
お葬式という事を皆さんは考えたことがありますか?
我々、人間に必ず起こることは、死ぬことです。でも、あって欲しくないことですし、考えたくないことです。
自分の死が家族や知人・友人といった周囲の人たちにどれほど影響を及ぼすのかなどを想像することもほとんどありません。
我々は、何時の頃からか、死を考えることをやめているのだと思います。そして、突然のごとく、死が訪れます。
その時が来れば仕方なしに行っているのが現代のお葬式ではないでしょうか?慌てて準備をしても準備が追い着かない。
もう、時遅しといった事象を多々見受けます。
相続・お墓など、事前に考えておかないと、死後にはどうしようもないことがたくさんあります。
自分の経験談を申し上げますと、祖父が亡くなった時に、親の兄弟が相続で揉めました。祖父の生前からある些細な諍いが祖父の死によって発生する相続をきっかけに大きな問題に発展してしまいました。「死人に口なし」で「祖父がこう言っていた」などと言った言葉に対して、「そんなことを言うはずがない」と言葉を返すことにより、小さな争いが、大きな問題に発展していきます。
そこには、死んだ祖父の遺志はありません。とても残念なことだと思います。
葬儀という意味をよくよく考えると、非常に広い意味と狭い意味があると思います。人の死を看取り、納棺、通夜、葬儀、火葬、収骨、法要、納骨といった長い時間に考える場合と、狭い意味で、看取りから、収骨までをとらえる意味とがあると思います。
ほとんどの方は狭い意味でとらえていると考えます。短い時間だけのお葬式として考えることにより、見えなくなっている部分がたくさんあると思います。その人たちの生活や金銭的なことを含めてたくさんあると思います。
そんなことを考える端緒になるのが、お葬式だと私たちは考えます。
さて、現代のお葬式を考えると、このような意味合いは、形骸化してしまっているように感じます。そのために、葬儀に関するトラブルが年々増加しているように思います。我々は自己の反省を含めて、再度、お葬式とは何かを消費者の皆さんと一緒に考えていかねばならないと思っております。そのきっかけ作りとして、今のお葬式で何が起こりどのように考えるべきなのかを我々の経験からお話を出来る場を作りたいと思い、この新聞を発行することといたしました。
我々が、良く耳にする問題点をテーマとして、今後この新聞を発行していきます。そして、我々が皆さん方にとって、善きパートナーと思われるような姿になれるように願っております。
皆様方より、様々なご意見を賜りたいと思います。どうか、よろしくお願い申し上げます。