北九州発の終活情報誌
「もしもの広場」
「マンション坊主」と呼ばれる人たちに驚いた
お葬式と宗教は、切っても切れない関係です。最近テレビで見た話だと、東京には、「マンション坊主」という人たちがいるそうです。お寺を持っておらず、マンションに住んでいてお葬式があると葬儀社の手配でお経をあげるのが仕事なのだそうです。
北九州に住んでいる私からすると、「うっそー!」と言った話です。宗教者と葬儀者、檀家の葬儀を紹介されたり、先ほどのように、葬儀社が紹介したりと言った関係です。ですから、冒頭のマンション坊主の関係も成立するのだと思います。
しかしながら、よくよく考えてみるとどんどんそんな世界が近づいているのかなという兆しもあります。昨今、少しずつ増えているのが、自分のお寺がどこかわからないという人たちです。それもお葬式を行わねばならない時になって、さてどこなのだろうと悩まれる姿をときどき散見されます。よくよく探すとわかるのですが、お葬式を目の前にして面倒くさいと思うのでしょう。葬儀社に、お寺を紹介してくれという依頼をお葬式の打ち合わせの時にあることもたびたびです。
ただ、一般消費者の方にとって、宗教ってなんでしょうか。お葬式のときに、良く聞かれることの一つに、「お布施はいくら包めば良いの?」というのがあります。中には「幾ら支払うの?」この質問を聞くたびに思うことは「お布施=お経代」と言った図式です。
「本当にこれで良いのかなぁ」
お葬式の仕事をしていて、そう思うことが多々あります。「何故、宗教者に葬式に来てもらうのか」とか「お布施」の質問。はたまた「お墓のあり方」など、宗教の意味に関係することがたくさんあります。この根本がわからなくなっているのが今の時代ではないかと思います。しかしながら、生活の中に宗教を実感できずにいることや、ある意味において、死をタブー視し、生活の中で語ることができない現代では、当たり前なのかもしれません。
我々は、宗教者ではありません。また、宗教者と一般消費者を仲人する存在でもありません。あえて言うと、一緒になって、宗教に関する疑問を考える存在なのだと思います。次号より、良く聞く皆さんの疑問からいろんなことを孝察していきたいと思います。