北九州発の終活情報誌
「もしもの広場」
お葬式の意味
先日、数年前に大切な子供さんを交通事故で亡くされたアナウンサーの方の講演を聞きました。
突然大切な我が子を失った母親の気持ちは計り知れないものです。 私は講演の中で触れておられた「気持ちの移り変わり」を聞いて、御遺族様の心情を学ばせていただきました。
最初に亡くなったという知らせを聞いたとき、「何かの間違いだ。間違いであってほしい。でも本当の事だったらどうしよう」と、悲しみよりも「信じたくない。信じられない」という気持ちであったそうです。
そして、初めてご遺体と対面し、冷たくなった体に触れて思ったことは、「他の子は生き返らなくても、うちの子は違う。今に目を覚ましてくれる」という「死」を一旦認めた上で、改めて「死を否定する」心情になっていきました。
さらにお葬式が終わり、火葬し、お骨になってしまうと、「受け入れられなかった死」を、認めざるを得ない気持ちになっていきます。
しかし、それでも「幽霊になってでもいいから目の前に現れてほしい」と望んだそうです。
最後には、幽霊としてでも逢えない我が子に「夢でもいいから出て来て」と願ったそうです。
「死」は、それが身近で大切な人であればあるほど受け入れ難いものだと思います。冷たい体のご遺体に触れて「死」を認めたとしても、「受け入れる」ことには時間を要するものです。
「死」を受け入れられないことは、自然な心情です。無理に受け入れる必要はないとおもいます。時間をかけてゆっくりと受け入れていけばよいのです。
でも、もし全く受け入れられなかった場合、悲しみから立ち直ることが出来ず、心身の病気になってしまうこともあります。
最近ではいろいろなマスメディアがお葬式について取り上げるようになり、中には「お葬式は必要ない」と言い切る人も現れました。
確かに「形だけ」のお葬式や、「豪華にするだけ」のお葬式の時代は去りつつあるのだと感じますが、お葬式自体を「要らないものである」と切り捨てるのは、多くの方のお別れに携わり、その意義を知る者として断固否定したいと思います。
お葬式は、必要なものです。ご遺体を火葬するまでの時間とは、故人のことを想い、様々な思い出を振り返り、参列した多くの方々から励ましの言葉を頂くというとても凝縮されたときなのです。 こうした別れの時間を過ごすことで「死」を受け入れる第一段階を越えていけるのだと思います。
そして後悔のないお葬式をしたことは、その後何度となく押し寄せてくる寂しさや不安と「死」を受け入れていくときの大きな支えになるのです。 時代の流れと共に、人々のお葬儀に際する考え方も変化していくものだと思います。
しかし、いつの時代になっても「大切な人を送る心」は変わらないで欲しいと願っています。