北九州発の終活情報誌
「もしもの広場」
友を送る
先日、私を葬儀の仕事に引き込んだ友を送りました。
まだ58歳でした。早朝連絡を受けた私は、妻を伴って彼の自宅に駆けつけました。
「ご苦労さんやったな。今からオレが髭を剃っちゃる」と声をかけると、彼の奥さんはキョトンとした顔をしていました。
「お前はオレに葬儀のことは何も教えてくれんやった。でも遺族の前でご遺体に話しかけながら、蒸しタオルを当て髭を剃っているお前を見ながら、オレは葬儀に携わる者の心構えを学んだ。こんなに早くお前の髭を剃る日が来るとは…」あとは言葉になりませんでした。
肉親を送った経験はありましたが、友を送るのは初めてでした。友がガンに侵されていると聞かされたのが昨年の春。自宅のベットの上での生活になったのが秋でした。私は親しくしていた人たちに出来るだけ沢山会わせたいと連絡を取り、以前の仕事仲間を集めて忘年会を開きました。
二十歳代の青春時代を共にすごした仲間にも連絡が取れ、いろいろなグル−プが彼を見舞いました。昔の記憶を呼び返しながら、楽しそうにしている友の姿を何度も見ることが出来ました。
通夜・葬儀では、彼が勤めていた会社の社員がテキパキと動き、社長も海外出張を切り上げ、まるで会社を挙げての葬儀のようでした。式場の内外で彼がかかわった昔の仕事の仲間が「同窓会」をしている様子は、彼がそれぞれの時代を仲間と共に一生懸命生きてきたことを物語っていました。
極めつけは、社長の弔辞でした。
「ご苦労であった...」
と押しつぶしたような声に、ハッとして顔を上げると、社長は体を震わせて泣いているのです。血の通い合った信頼関係に裏打ちされた弔辞を、参列者は一言も聞き漏らすまいとし、別れの言葉が進むにしたがってすすり泣く声が広がっていきました。
私も涙を堪えることは出来ませんでした。
それは、友を亡くした悲しみというより、彼と堅い絆で結ばれた人がいて、彼の遺志を受け継ぐ気持ちを持った人が沢山育っていることへの感動にも似たものでした。
この社長は通夜の後、「明日の弔辞を頼まれたが、形式的なことは性に合わん。ありのままの俺の気持ちをぶちまける」と言っていました。葬儀は一人の人間が生き、その人生の中で様々な人々と関係を結んできたことを再確認するためのものであり、この社長が言うように 「ありのまま」の心と心の結びつきをより強くしていくために行われる大切なことがらなのです。